何を信じたらいいのか考えたことはあるでしょうか。
神とかそういうのじゃなくても、正義って何かな、とか、愛って何かな、とか。
私は2年前に亡くなった愛犬の看護をしてた時、この犬は私にとってどんな存在で、私の人生にどんな意義があったのか、そして亡くなった後、つまり彼の身体がなくなった後、私と彼はどういう関係になるのか、など考えていました。
しっかり納得がいけば怖くないはず。
ああ、こういうことで亡くなっても私は大丈夫、と思える根拠が知りたい。
というところから、今目に見える身体、物質と、言葉を話せない犬、その心、その見えない心は一体どこにあるのか、目に見えるものだけではないのかもしれない、てつ(本質)はどこにあるのか。
なんて考えていたのですが。
デカルト(1596-1690年)の生きた時代は、まさに、何を信じたらいいのかわからない時代になっていました。
王権神授説によって、今までずっと、神が与えた権威をかざして王が人々を支配する王権君主制が主だったヨーロッパ。でも、その神の存在は、ガリレヲ(1564-1642年)やコペルニクスらによって科学の発展がさかんになされたことや、宗教改革(16世紀)により腐敗した協会のシステムの糾弾によって、神の権威が脅かされている時でした。
神って本当にいるの?
って思った人もきっと多かったのでは。
でなければ、誰を信じたらいいんだろう?
って、なる。うん、なります。宗教改革ではプロテスタントとカトリックに分かれてしまって、えええ、ってなりますよね。私ならどっちが本物?って思う。
そこで、デカルトは考えました。
私たちは、人間である。その、人間を人間たらしめるものは理性だよ、と。
その理性を使って、真理を見つけることができるのだよ、と。
当時、こういった出版は学者たちが使うラテン語でされることが主だったにも関わらず、彼は貴族たちが使うフランス語で書いたのは、もちろん、旧体制派の人たちからの批判を免れたかったのもありますが、誰に向けたのかがポイントです。貴族階級、つまり、人々にこれを語り掛けたかったのです。
私たちは、理性を使って真理を追究することができるよ、と。
デカルトはとても優秀な学生で、ありとあらゆる勉強をして、ありとあらゆる学問を身に着けたにも関わらず、真理には学問では到達できない、と悟り、旅に出るのです。なんだかお釈迦様みたいです。
そこで、真理と見出すには、まず、すべて疑ってかかれ、少しでも疑わしきものは真理ではない、として、真理に到達するためのルールを発見します。
仏教でいうとなんだろ、こうしたら悟りにいけるよ~、みたいなルールでしょうかね。
そのルールとは、
1.国の習慣やルールに沿うこと。
2.途中であきらめないこと。
3.現実を受け止めること。
この3つです。
彼の有名な言葉に、
「我、思う故に我あり」
これは、紀元前のインド仏教と似てるところがあるように感じます。
私と外の世界は一緒だよ、梵我一如。(私とは認識する私である)
話はそれましたが、これを彼は第一の真理とします。
例えば、あ!これが真理だと発見した!としても、それは彼の夢かもしれないから、目覚めたら夢の話かもしれない、不確かである、故に真理ではない、ということからの消去法で、最後に残ったのが、疑っても、疑っても、消えない疑ってる私がいる、これは真理だ、というのです。
ここで、話は神の証明になります。
完璧ではない私がいる、ということは、どこかに完璧がなければ成り立たない。
神は完璧な存在。
故に、神はいる、と。
相対性理論ということでしょうか。
物事の対局には別の何かがある、両方合わせて存在するんだよ、という、二次元論的な考えです。
日本でも神頼みしますよね。
ということは、自分の中に神(完璧な何か)がいるのではなくて、やはり、どこか外にいる、と信じてるということですよね。
でも、私は梵我一如を支持しています。
私もてつもすべて一つだよ、という具合に。
どういうことかと言うと、
赤い、とか、痛い、とか、そこに花瓶がある、とか、全部それは私の認識によって成り立っています。
目の前の光景すべては私の認識によるものです。
なので、それらは、私の認識なしには成り立たない、ということになります、少なくとも私にとって。
そして、私とは、認識する私。
つまり、ここで=で結ばれるのです。
あ、なんだか話がそれちゃった。
とにかく、デカルトは神の証明をしたのですが、その方法は、私(日本人)には馴染みのない感じで面白かった、という話でした。